1: 名無しさん 2018/05/13(日) 15:58:25.26 ID:Iq/gnp8NM
ソフトバンク・内川聖一内野手(35)が9日の西武戦(メットライフドーム)で史上51人目の通算2000安打を達成した。
2010年オフに横浜からFA宣言した内川と入団交渉を行ったのが、当時ソフトバンクの球団編成担当取締役だった小林至氏(50)=現江戸川大教授。
小林氏は「当時は小久保、松中、柴原ら中心選手が高齢化し、新しい“血”の導入が必要な時期を迎えつつありました。そこで会長(王貞治球団会長)とも相談し、内川の獲得に乗り出したのです」と振り返る。
当時の横浜は3年連続最下位。「開幕から2週間もすれば、優勝を諦めて個人成績を上げることだけに走り始める雰囲気があったようで、内川が『優勝を狙えるチームでやりたい』といっているという情報を得ていた」とあって、FA宣言するとすぐに手を上げた。
九州は大分出身の内川にとって地元でもあり、双方の思惑が一致。「いま内川がソフトバンクに来て『よかった』と思ってくれているとしたら、人生の転機にたまたま携わらせていただいた者として、うれしい」と小林氏も感慨深げだ。
2010年オフに横浜からFA宣言した内川と入団交渉を行ったのが、当時ソフトバンクの球団編成担当取締役だった小林至氏(50)=現江戸川大教授。
小林氏は「当時は小久保、松中、柴原ら中心選手が高齢化し、新しい“血”の導入が必要な時期を迎えつつありました。そこで会長(王貞治球団会長)とも相談し、内川の獲得に乗り出したのです」と振り返る。
当時の横浜は3年連続最下位。「開幕から2週間もすれば、優勝を諦めて個人成績を上げることだけに走り始める雰囲気があったようで、内川が『優勝を狙えるチームでやりたい』といっているという情報を得ていた」とあって、FA宣言するとすぐに手を上げた。
九州は大分出身の内川にとって地元でもあり、双方の思惑が一致。「いま内川がソフトバンクに来て『よかった』と思ってくれているとしたら、人生の転機にたまたま携わらせていただいた者として、うれしい」と小林氏も感慨深げだ。
引用元: ・http://hawk.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1526194705/
【ソフトバンク・内川、3年連続最下位の横浜を出たがっていた… 】の続きを読む